エロバナ~エロいお話し~

非日常的なエッチな体験談・官能小説を集めて配信しています。

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俺は姉と妹がいて2人のパンティを持ち出して部屋ではいていた。

妹のパンティをはいてオナニーしてた時に姉にみつかったことがあった。
中2の時で姉は高3妹は小6だった。普段男勝りの姉だからむちゃむちゃ
怒られるかと思ったら静かに「あたしのも使ったことあるの」と聞いてきた。
うそついたら後でたいへんなことになると思って「うん」と言った。
そしたら姉は「○美(妹)のはもう使わないでね。そのこと知ったら傷つくから
男だからしょうがないよね、あたしのたんすの中の下着自由に使っていいから
もう2度と○美のは使わないでね」と言われた。

賭けに負けて公開オナニー

初めて投稿します
どのスレか悩んだがここっぽいので

小学校の頃少年野球をやってた、それとは別にリトルリーグてのがあった。
リトルリーグが野球にこれから青春をぶつける小僧の集まりだったのに対して、
少年野球は地域コミュニティーの一つみたいな扱いでリトル>少年野球だった。
実際リトルリーグのチームが二学区合わせて1つだったのに、少年野球の
チームは5チームもあった。
でもって大会も近いある日地元のリトルが調整のためとかでうちらと練習試合
することになったのよ。察しのいい人は気づいてると思うけど、その練習試合で
俺の所属してた「宝山町」が「若松リトル」に勝っちまった。それも5年生の
田宮ってのと俺の継投でノーヒットにして、唯一の得点が相手のライト後逸→三塁悪送球、
両チーム無安打のドロドロの草野球だった。

自分の母親のストッキングで射精するなんて・・・

今から5,6年ほど前のことです。
両親が故あって離婚し、僕は母と父の出た自宅において生活する事になりました。
僕が16才、母は42才でした。
当時、42才の母は「ババア」の類だと思っており、特に母親に女を感じたことなど皆無でした。
しかし、離婚してから半年ぐらいたった冬寒むの天候の時のことです。
体調を崩し、学校を早退した僕は帰宅後にキッチン脇のゴミ箱の中からある物を見つけました。
何の変哲もない、母のはいていた黒のパンティストッキングでした。
「またゴミ分別していねぇよ!」と一人毒づき、その黒いパンティストッキングを手に取ると
「ヌタッ」とした感触が伝わり、気色悪さから「ゲッ!!」と声を上げ、手放しました。

激しく反応する母の痴態に興奮していた

恒例の家族旅行は今年は親父の急用のため、母と俺と妹の3人で海に行く事になった。
海に着くなり、仲の良い妹と泳ぎに行き、遊んでいる間に母は、海辺で、俺達を見ていた。
平凡なワンピースの水着の母だが、もう直ぐ40歳とは思えぬ若々しさと、そのスタイルに
魅せられた様に男が次々に声をかけていた。
軽くあしらっている母だったので、俺達も遊びに夢中になり、母親の姿が消えたのには気づ
かなかった。暫くしていないのに気づいたが、先に帰ったくらいにしか思っていなかった。
それからも妹と遊んでいたが、トイレに行きたくなり、生憎満員だったので我慢できなかっ
た俺は、岩陰の死角に行ってしようと思い、そちらに向かった。

俺にはブルマーフェチ&姉萌えの性癖がある。

実は姉のブルマーを隠し持っていた。
姉が中学生時代のものだ。
姉は今はもう19歳の大学生だ。
俺は今でも、姉のブルマー姿を思い出して
そして姉のブルマーを穿いて、オナニーをしているのだ。
その日も、オナニーをしようと思ってタンスからブルマーを取り出し
ズボンを脱ごうとした、まさにその時だった。
姉がノックもなしに部屋に入って来たのだ!
俺が手にしていたブルマーが見つかってしまった。
「ちょっとォ、○○、何?それェ?」
「な、何でもないよっ」
慌てて隠したが間に合わなかった。


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